「諦める力」為末大 著 を読んで
「諦める力」為末大 著 を読んだメモ。
意外にも自分の今までの人生を振り返り、これからを考える内容になった。
今、読めてよかったと思う。
「諦めた道」→定年まで会社員として東京で働き続けること
「別の道」→海外で主婦しつつ在宅仕事
当初、その道(諦めた道)を選んだ目的は、会社員として出世することではなかったはず。
仕事を通して世界を良くする、新しい世界・環境汚染の少ない世界を目指すこと。
そこは今も昔もブレてないことに気づいた。
経済学では 、今後の投資を決定するときに 、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しない
→今までサンクコストを気にしすぎてたのでは?
親に大学院まで出してもらって会社辞めて主婦はありえない、会社員として頑張らないといけない、という考えにがんじからめにされていた。
別の環境を求めて移動し 、新しい関係性のなかに身を置いてみると考えが変わるかもしれない 。住む場所を変えたり 、人間関係を変えたり 、行動パタ ーンや習慣を変えてみるのもいいかもしれない 。
→思いきり違う環境に移ってきてしまった。その結果、未練がなくなる、こり固まっていた自分の考え方に気づく、この会社で働き続けなければいけないということはない、ということが分かった。
何を普通としている集団に属しているかで変わってくる。
人はすごいことをやって引き上げられるというより 、 「こんなの普通でしょ 」と思うレベルの底上げによって引き上げられると思う 。
→学校選びや職場選びにも通じる考え方。
例えば高校だったら、
海外校に進学するのが普通か、日本の大学に行くのが普通か、系列校に進学するのが普通か、大学進学しないで就職するのが普通か
日本語で会話・学習するのが普通か、英語で会話・学習するのが普通か
女子は文系に行くのが普通か、女子でも理系に行くのが普通か等。
例えば職場だったら、
専業主婦家庭が普通か、共働きが普通か
残業や土日出勤が普通か、定時帰りが普通か
男性だけの職場が普通か、女性もいるのが普通か
有休や産休を取るのが普通か、取るくらいなら辞めるのが普通か等。
結構その場の「普通」、校風や社風は効いてくる。というのが実感。
長期的には 「あまりがんばらなくてもなんとなくできてしまう 」ことのほうに努力を振り向けたほうが成長できる
「何をがんばるか 」という選ぶ努力には 、冷静に自分を見てだめなものはだめと切り捨てる作業がいる
→例えば受験科目。
私は特に暗記科目が駄目で、考えれば解ける理系科目が得意だったので、理系へ。
今は何が「あまりがんばらなくてもなんとなくできてしまう」ことなのかよく分からない…。
人の顔と名前を覚えることは苦手なのでそういう仕事は全力で避けるべし。
がんばったという満足感と成果とは別物だ 。
さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か 。
→がんばったことのほうが印象に残りやすいから、ついそちらをアピールしがち、がんばりがち、だけど「がんばらなくてもできてしまう」ことが大事、なんだよなぁ。
私にとってそれってなんだっけ…?
今は「がんばって」しまってるかも。
今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか 。そういうことを折に触れて自分に問うことで 、何かをやめたり 、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思う 。
本当のところを言えば 、終わり際については誰もがそれなりに察していると思う 。
→仕事を辞める第二子産休前、このまま仕事を続けたら、自分の体も家庭も壊れる、という予感がした。ギリギリだった。
というわけでこれから「自分ががんばらなくてもなんとなくできてしまうこと」は何か、気をつけてチェックしてみようと思う。
意外なものが見つかるかも…?
アメリカ3年目の3歳児の様子
前回は長女のことを書いたので、今回は3歳の次女のことを書いてみようと思う。
0歳8ヶ月で渡米した次女は、今では日本に暮らしていたよりもアメリカで暮らした期間のほうが長くなった。
しかし、彼女は日本語しか話せない。
アメリカのプリスクールは2歳9ヶ月から受け入れる所が多く、それまでは私とべったり一緒にいた。
テレビジャパン(アメリカのNHKを中心とした日本語放送)で「いないいないばぁ」や「おかあさんといっしょ」を見て、私と公園で遊ぶという日々を過ごしていた。
2歳9ヶ月になった時、日系のプリスクールに通うか、現地のプリスクールに通うか、両方通うかの選択肢があった。
しかし、日系のプリスクールが遠いこと、日系に初めに入れてしまうと現地のプリスクールを嫌がることが多いと聞いていたこと、次女の何事にも動じない性格から、現地のプリスクールに週3日通わせることにした。
しかし、これが失敗した。
私と離れる時に泣くことは想定していたが、「泣き止まない」「昼寝をしない」としょっちゅう呼び出される。
日本語が分かる人が1人もいない環境で、ようやく日本語でおしゃべりすることが楽しくなってきた次女は、意思疎通できないことがかなり苦痛だったようだ。
それでもよくあること、と3ヶ月程通わせていたが、とうとうある日大泣きして車から降りようとせず、車から引きずり降ろして泣きわめいて逃げようとする次女をなんとか引きずって登園させた1時間後に、「疲れたのか眠ってしまったためお迎えにきてくれ」との連絡。
あの苦労はなんだったのか…とぐったりした気持ちで迎えに行き、結局その日以来、登園しなくなってしまった。
「幼稚園行こうか?」と言うだけで泣き出し、無表情になってうつろな目をするようになってしまった次女を見て、これはやばい、と思った。
いつも表情豊かでニコニコしている次女がこんな顔をするのは見ていられない、と思った。
その後先生との面談の機会があったが、「英語を話そうとしないので困る、意思疎通ができない。」と言われ、どうしたらいいと思うか?と聞いても「分からない」と肩をすくめられた。
「英語が話せない子も何人も受け入れている、すぐにみんな英語を話すようになる。」と入園前に責任者は自信ありげに話していたが、現地の小学校や中学校とは違い、プリスクールではESLの先生はおらず、小さいからすぐに慣れる、という経験則で話をしていたようだった。
「他の子は両親が英語を話せる人だったし」と言われ、私が英語が話せないことが原因なわけ?と思ったり、先生との信頼関係も失われ、具体的な解決策も出てこなかったため、退園した。
次のプリスクールに入るまで、次女と一緒に図書館で行われるstory timeやダンス教室に通った。
それでも英語の絵本の読み聞かせや手遊び歌はあまり興味を示さなかった。
行くとスタンプを押してもらえることや、歌に合わせて鈴を鳴らしたりするのが楽しみで「またいこうね!」と言うのだが、英語は彼女の中に浸透していく様子がなかった。
長女が英語のテレビを見ていても、「これは長女の。」と言って一緒に見ようとはせず、アンパンマンを熱心に見ていた。
在米の日本人の方々にも相談し、これは日本語のプリスクールのほうがいいな、と判断、日系のプリスクールを見学し、入園した。
最初のプリスクールの反省から、週3日だと通うリズム、習慣が身につきにくく嫌になりやすいと思ったので、週5日。ただし昼寝がネックだったので慣れるまでは午前中だけの登園とした。
最初はやはり泣いた。
車から降りたがらず引きずり降ろすこともあった。
しかし、日本語が通じること、アンパンマンのおもちゃがふんだんにあること、先生が粘り強く対応してくれることから、毎日ニコニコしながら登園できるようになった。
「ようちえんまたいこうね!」と言う次女を見て、これでよかったんだ、と思う。
アメリカにいながら日系プリスクールに通うのは不自然なのではないか、現地校で頑張っている長女に不公平感が出るのではないか、と思った時もあった。
しかし、まずは次女が親と離れて楽しそうに登園できることが最優先だな、と思う。
今では英語のミッキーマウスクラブハウスを見たり、週に何回かある英語の先生のレッスンを楽しんでいたりするので、自然と時が来れば英語も楽しくなってくるだろう、と思っている。
そして、日本語でのおしゃべりがどんどん 上手になっていく3歳児を見るのは本当に楽しい。
親のエゴかもしれないが、母語で家族と意思疎通できるのはたまらなく幸せなことだなぁ、と感じる今日この頃である。
アメリカ現地校3年目の子どもの様子、英語力
渡米前〜渡米1年目の様子はこちら。
渡米2年目の様子はこちら。
渡米3年目(小学3年生)
引っ越し先のサマーキャンプを私がうまく見つけられず、この年の夏はサマーキャンプなし。
同じアメリカ国内でも気候が全然違って、久しぶりに暑い夏を経験した。
娘は暑い日に小麦食品を食べるとじんましんが出るようになってしまった。
体調不良に苦しみつつ、地味に引っ越し荷物を開梱したりカラーボックスを作ったりする日々だった。
娘はLittlest pet shop に夢中になり、もはや私には何を言っているか分からない早口のアニメを見ながら笑っていた。
学校へ行く前に、また英語の実力を確認するテストを受けた。
その結果は、ESL(英語を母国語としていない人のための英語教育)の必要なし。
そんなわけないよ…!と思ったけれど、まずはESLなしで様子を見ましょうということになった。
また、日本語の分かるESLの先生がいる学校へ希望をだしていたものの、別の学校へ通学が決まった。
クラスで日本人は一人、ESL対象の子はクラスでもう一人だけ、という環境になった。
どうなることやら…と思ったが、担任の先生が娘の内気な性格を心配して、
「この子とこの子と仲がいいようだから、家でプレイデートをしてみては?」
「楽しく過ごせるようにソーシャルワーカーと友達と一緒に週一回ランチを食べる会に参加させて。」ときめ細かくサポートしてくれた。
最初はそんなにチェックされるくらい、なじめてないのか…と私が落ち込んだりしたが、娘はランチも楽しい、お友達にプレイデートしようとお手紙をもらった、と楽しそうにしていた。
今では本当にきめ細かくサポートしてもらったことを感謝している。
1年たった今ではそのお友達と互いにBest friendsと呼び合い、BFFと書かれたカードやアクセサリーを交換したりしている。
週一回程度プレイデートすることで本当に仲良しになったようだ。
お友達との会話を聞いてると、娘のしゃべり方はゆっくりで、つたないのだが、友達は気にすることなくナチュラルスピードで話し、そして娘もそれを理解して笑ったりはしゃいだりしている。
ESLについては結局、授業開始から3ヶ月たった頃、やっぱりESL必要ですね、となり、ESLの先生にwritingをみっちりしごかれている。
週に2回エッセイを書き、5パラグラフエッセイの書き方と、過去形について指導を受けている。
現在は、
「過去形と現在形が混じり合った文をいつまでも書いている。夏休みにも家で書いてチェックしてください。」と言われている。
そしてspeakingは声が小さくて何を言っているか聞こえない、彼女の実力が分からない、とのこと。
readingは毎日20分読書していたおかげで力がついてきて楽しそうなので、「夏休みに読書させようと思うのですが…」と担任の先生とESLの先生に問い合わせたところ、「readingもいいけどwritingとspeakingがね…!」とのこと。
音読したり声を出すことを心がけてくださいと言われた。
チューターはもうお願いしていない。
宿題を一人でこなせるようになったから。
今年の夏休みのサマーキャンプは娘が希望して4週間の予定。
2年前にしぶしぶ2週間、日本人のお友達とサマーキャンプに行っていたのと比べると、自信がついて積極的になったなぁと思う。
英語力、日本語力について気にするようになったのもこの渡米3年目から。
それまでは必死でそれどころじゃなかった。
英語力については春休みに英検3級の過去問を解いたら、リスニング満点、リーディング7割を得点。
渡米後丸3年となる小3終了時の夏休みに英検準2級の過去問を解いたら、リスニング1問間違い、リーディング9割を得点していた。
しかし、準2級の問題文はふりがながないため、問題文が理解できないという落とし穴があった。
帰国子女枠の中学受験は最低英検2級を持ってることが望ましい、とか聞いて、小学生が英検2級とかありえないわー、何言ってんのかしらー、と思ってたけど、ありえない話でもないんだな、現実なんだな、と思えるようになってきた。
また1年後に2級の過去問解いてみるか、と思っている。
まぁその前にwritingとspeakingをどうにかしないとESLから抜け出せそうもない。
英語の伸びに比例して日本語力があやしくなってきた。
家の中では日本語だし、本人も英語より日本語のほうが話しやすいのだが、漢字が書けない。
テストに出た一週間後には全部抜けてしまっている。
日本語を日々目にしない、書かない、というのはこういうことか…と思っている。
この夏の目標は小学1、2年生の漢字を完ぺきに覚えること、だ。
また、絵本から文章中心の本にうまく移行できていないことが気になると担任の先生に指摘されたため、読み聞かせとお気に入りの本のシリーズを見つけることで、読書はなんとか続けている。
いまはあんびるやすこさんの本に夢中だ。
引っ越し先の日本語補習校は週一回に減り、国語と算数のみ週一回3時間、夏休みの夏期講習はなし、という環境では日本語を伸張するのは難しいのかもしれない。
補習校の面接で、「週一回の授業だけで日本の子供と同じ力がつくとは思わないでください。」と校長先生に言われたことがようやく分かってきた。
日本語も英語もまだまだ中途半端だけれど、なんとかやってきた、というのがこの3年間だ。
「アメリカ 現地校 小学生 英語力」「帰国子女 日本語力」とか検索しまくってた自分に、完ぺきではないけれど、ぼちぼちなんとかやっています、と伝えたい。
これからも頑張る娘をできるだけサポートしていきたいと思っている。
アメリカ現地校2年目の子どもの様子、英語力
渡米前〜渡米1年目の様子はこちら。
渡米2年目(小学2年生)
現地校2年目となり、クラス替えして日本人が3人のクラスになった。
しかし他の2人は男の子だったため、娘はようやく現地の女の子と話すようになった。
それでもプレイデート(放課後の遊び)は日本人の子とだけ、習い事も日本語がいいとの娘の希望で、日本語で習えるバレエ教室を探して通っていた。
担任の先生との最初の面談で、「前担任の先生に聞いていたよりも英語力がアップしていて驚いた、夏休み後は現地の子も英語力が落ちるのに。」と言われた。
これは前回書いたように夏休み中ずっと英語のアニメを見ていたからだと思う。
先生の指示が分からないということがほとんどなくなってきた。
英語の本は易しいチャプターブックを読むようになった。
宿題は英作文が始まり、かなり長い時間かかって一文を書くようになった。
一文書くたびに、「あ〜疲れた〜!」と言い、チューターの先生と半分くらい一緒に書いていた。
フォニックスは相変わらずチューターの先生に丸投げでお願いしていた。
週末できなかった課題を持って帰ってくることがなくなったので、アメリカ国内の旅行に行く余裕が出てきた。
しかしこの年は日本人の女の子とトラブルになり、その対応にパワーを使ったので、あまり英語力のことを考える余裕はなかった。
娘は「○○ちゃんがいるから怖くて学校に行きたくない、日本に帰りたい。」と言った。
それまで英語が全く分からなくても、学校に行きたくないとは言わなかった娘がそのように言うことに胸が痛んだ。
なので、渡米2年となる夏に引っ越しの話が出たとき、娘は非常に乗り気だった。
「ひといちばい敏感な子」を読んでいた私は、HSCの子は引っ越しをするのは大きな負担がかかると知っていたので、うまくいけばいいが…と一人心配していた。
ちなみに日本語力については小2までは全く問題がなかったように思う。
週2回、日本語補習校に通っていたし、まだまだ漢字も簡単だった。
算数の最初の難関である九九も、歌を歌いながら覚えていた。
渡米前〜アメリカ現地校1年目の子どもの様子、英語力
アメリカへ来て約3年経ったので、我が家の小学生の様子や、英語力について、記録しておこうと思う。
まずは渡米前〜渡米1年目について。
全く英語のできない子どもを英語圏へ連れて行く方の参考になれば。
渡米前
保育園年長の夏にアメリカへ行くことになった。
全く英語に触れたこともないので、アメリカへ行く前に週一回、2ヶ月間だけ英会話教室へ通った。
はっきり言って英語力強化の効果はないが、英語怖くないよ〜、という安心感を得るため、という感じ。
渡米1年目(小学1年生)
アメリカでは誕生日の関係で小学一年生に編入。
学校へ通う前に英語力の確認のためのテストを受けたが、1時間半位かかります、と言われてたのにあっさり10分くらいで終わった。
先生(ぞうの絵を指差して) "What's this?"
子ども「ぞう。」
先生"In English please?"
子ども「ぞう。」
終了、って感じ。
かろうじてライオンだけ答えられたので、5点とか点数つけられて、英語全然できませんね、日本人多めのクラスに入れておきましょうね、という流れに。
登校2日目にアルファベット小文字のテストがあり、泣きながら帰ってくる。
娘は当時、大文字しか知らなかった。が、英語圏では当然のように小文字の方が重要。盲点だった。
渡米前にアルファベットの小文字だけでも知っているといいと思う。
担任の先生に、チューターをつけた方がいいと言われ、チューターに週一回来てもらうことに。
この年齢がきつかったのは、フォニックスをみっちりやるが、親は教えられない、ということ。
short aとshort uの違い(例えばfanとfunの違いを聞き取る)が分かってないから家で指導してくれ、と担任の先生に言われるも、夫も私もどちらも「ア」にしか聞こえない、という耳。
フォニックス部分は全面的にチューターの先生に頼った。
また、show and tellの時間に何も言えずに突っ立ったままになってしまい、泣いてしまったこともあった。
これもチューターの先生と言うことを書き出して、家族とチューターの先生の前で何回も発表の練習をした。
学校で解けなかった問題を週末どっさり持ち帰ってきて、月曜日に提出と言われ、親子で必死に宿題をするだけで土日が終わっていた。
マザーグースの一節が出てきたり、リンカーン大統領のあだ名は?等アメリカの子どもなら誰でも知っていることを知らないので、ちんぷんかんぷん。
子どもは解けないので、一緒にGoogle検索しまくっていた。Google先生様々。
白紙一枚持って帰ってきて、「宿題だけど、何するか分からない。」と言われたことも何回もあった。
そのたびに日本人お母さんにメールして、何すればいいのか聞いていた。
最初は習い事などする余裕はなく、日本語補習校にも半年後の小1の春から入学することにする。
とにかく現地校だけで精一杯だった。
また、日本人以外の子と遊ぶのを極端に嫌がり、遊びに誘ってもらってもかたくなに遊ばなかった。
「外国人の子はやなの。」と言っていた。おまえが外国人なんじゃー!!と思ったけど。
子どもって結構保守的なんだなー、と実感した。
日本人の子がたくさんいるクラスに入れてもらって、この時期は大正解。
英語のできる日本人の子に通訳してもらい、半年後に入ってきた日本人の子に今度は通訳してあげる、という循環ができ、通訳をしてあげられる自分に自信がついたようだった。
春から通いだした日本語補習校も、日本語で話せる時間が貴重で、よい息抜きになったようだった。
特に夏休みの2週間夏期講習は、楽しい日本語サマーキャンプ、という感じで、スイカ割りしたり朝顔を育てたりしていた。
渡米後1年後となる夏休みの英語のサマーキャンプは2週間のみ、いずれも日本人のお友達と一緒に通った。
1人でサマーキャンプに行くのはまだまだ不安という感じ。
その他夏休み期間は延々とmy little ponyや Sofia the first等英語のアニメを見ていた。
しかしこれが実は英語力をつけるのに一番効果があった気がする。
渡米1年目は、本やアニメはここに書いたものをよく見ていた。
今の状態でベストな働き方
細々と在宅で仕事をするようになってきた。
今はこれがベストなバランスだと思っている。
総合職正社員で働き続けながら子供を育てないといけない、ここで辞めたら子持ち女性が再就職なんかできっこない、という謎の思い込みからも解放された。
女性も男性並みに働く時代!と女子校や親から言われて、その通りだ!と思ってすくすく育ち、残業土日出勤当たり前!と思ってガンガン働き、同じような考え方の人と結婚した。
けれど子供が生まれ夫が海外赴任になり…となってくると、総合職正社員同士の共働きは無理になってくる。
こんな好待遇なところ、子持ち女性が二度と再就職できないわよ、かじりついてでも細々とでもいいからここで働き続けなさい、と言われたこともあったし、その通りだ、もうここで辞めたら私の仕事人生終わりだ、と思ったこともあった。
でもまぁそんなこともなかった。
子どもが小学校やプリスクールに行ってる間、集中して仕事をする。
向いてるかどうかはよく分からないけど、この仕事好きだなぁ、と思う。
前の仕事も、向いてるかどうかはよく分からないけど、好きな仕事だったので、私は仕事に恵まれてるのだと思う。
もしくは、仕事すること自体が好きで、苦手じゃない。
それに比べると、掃除や料理やおもてなしや人の顔と名前を覚えることは苦手なので、そういう面が多い専業主婦は息も詰まるししんどかった。
あとちょっと余裕が出てきて時間を持て余し気味だった。
意欲の冷却、家事労働ハラスメント、全部はまっていて笑ってしまう。
それに怒りを感じていた時期もあったし、諦めて楽しく過ごしたほうがいいのではと思った時期もあった。
しかし異国で、夫は月の半分出張でいなくて、子供の車での送り迎え必須で、子供留守番禁止という今の状態で、これはベストだと思えるバランスだ。
怒るべき、戦うべき、もっと頑張るべき、なのかもしれないし、諦めて状況を受け入れて、結局割りを食うのは女だけで男は自分の思い通りに全てを手に入れられて不公平、なのかもしれない。
それも頭の片隅に残しながらも、辿り着いた今の状態を楽しんでいる。
そして「今の状態」ではこれがベストというだけで、状況が変わればベストな選択はまた変わるのだろう。
子どもの成長、夫の勤務地、その他様々な要因で変わる環境に合わせて働き方も変えていく、それもいいじゃないか、と今は思っている。
育休=兵役 だ!
育休って兵役だ。
と突然思った。
育休と言ってるけれど、休職というより、実際は役務だ。
休める時はほとんどなく、鬼軍曹の24時間絶え間ない命令に従わなくてはならない。
オムツ替えろ!
次はおっぱいだ!
抱っこしてスクワット100回!
俺が寝たと思ったか、甘いぞ!やり直し!!
外界との接触は断たれ、楽しみといえば鬼軍曹が昼寝してる間にお菓子を食べること。
そして手に入れるのは、鬼軍曹のどんな無理難題にも対応する精神力と、二の腕の筋肉。
無事に同僚が育休から復職したら、
「娑婆への復帰おめでとう!
言葉が通じる世界に帰ってこれたね。
ゆっくりお昼ご飯が食べられるよ。」
と優しく出迎えてあげてほしい。