かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

角田光代「坂の途中の家」を読んで

身近な人をおとしめ、「自分は何もできない駄目な奴だ」と思い込ませることで安心する人、というのがいる。
しかも結構存在する、と私は思う。
なぜなら鈍感に生きている私でさえ、そういう人を複数知っているからである。
そのうちの1人に聞いたことがある。
「どうしてその人をばかにしながら、一緒に暮らすの?私だったら尊敬できる人と暮らしたいと思うけど。」と。
でもその時私は気づいてなかったのだ。そうやって人を見下すことで、自分の優位を確認できて安心する人がいるんだということを。
だから、そういう人は相手のことを離さない。
自分の優位を実感するのに必要だから。

この小説にはそういう人が出てくる。
しかしその人は真正面から「お前はばかだ」「価値がない」などとは言わない。
とてもおだやかに、相手のことを気づかうふりをしてじわじわと自己肯定感を奪っていく。
その巧妙なやり方が絶妙にえがかれていて、リアルで息苦しくなる。

もしかしたらその人自身でさえ、自分がしていることの意味に気づいていないのかもしれない。
無意識なのかもしれない。
自分は相手を心配してるだけなんだ、愛ゆえにそうしているんだと本気で思い込んでいるかもしれない。

その恐ろしさ、人間の怖さ。
しかしすぐそこにある日常で、自分も何かが少し違うだけですぐに加害者にも被害者にもなるんだという実感。

読んでる途中ずっと息苦しいのに、この本を読んでよかった、と思う本だった。

坂の途中の家

坂の途中の家