かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

帰国子女、帰国してから小学校になじめた?勉強は?(後編)

主要4教科や全般のことはこちらに書いたので、他教科について書いていきたいと思います。

 

【音楽】

日本の小学生は3年生からリコーダーを吹いているので、5年生にもなるとかなりの上手さです。

長女の通っていた現地校ではリコーダーは小3のみで、その後2年間は別の楽器をやっていました。

リコーダーを吹くのは2年ぶり。すっかり指遣いも忘れていて、周りとのあまりの差に嫌になったようです。

学期末にはリコーダーのテストもありますし、とにかく毎日学校から帰ってから10分だけ練習することにして、地道に練習しました。

周りの子並みには3ヶ月ではなりませんでしたが、苦手意識はだいぶ薄れたようです。

 

【体育】

実は一番差があるんじゃないかと恐れていたのが体育でした。

マット運動、とび箱、鉄棒等、一度もやったことがありません。

ですが、一学期の初めは運動会の練習、その後はプール授業になったため、思ったほど辛くはなかったようです。

プールの授業では、「けのびをして」と言われて意味が分からず、ばた足したら違うと言われた…と凹んで帰ってきました。

アメリカ現地校ではプールの授業はないため、水泳教室にはアメリカで2シーズン程通っていましたが、日本の子達はもっと泳げる子がたくさんいるようです。

二学期以降は体育の授業がどうなるかはちょっと分かりません…とりあえず担任の先生には、マット運動等やったことがありませんとお伝えしておきました。

 

【図工・習字】

図工と習字は好きな科目のため、苦労はしていないようです。

むしろ図工でいろんなことができるのが楽しいようです。

日本の子達の習字のうまさには憧れがあるようです。

 

【家庭科】

家庭科は小5スタートということで、みんなと一緒にスタートできてよかったようです。

また、料理や裁縫が好きで、家や図書館のイベント、サマーキャンプでもやっていたので、ほんとに楽しくて仕方ないようです。

 

以上、うちの子の副教科についてでした。

帰国子女、帰国してから小学校に馴染めた?勉強は?(前編)

帰国子女(になる予定)の子がいるご家庭で一番心配なのは、「帰国した後、子どもが学校に馴染めるか、勉強についていけるか」だと思います。

 

帰国して3ヶ月経ったので、ここで一例として我が家の長女(小5)のことを書いておきたいと思います。

 

【学校生活】

まずは小学校で使う様々な言葉が分からない。

「通学路」「校門」(校門が理解できた後も、正門で集合ね!と言われてもどの門が正門かが分からない)「昇降口」等々…。

これは海外で説明してもよく分からないと思うので、実際に日本で覚えてもらうしかないかな。毎年体験授業とか受けてるとすんなり分かるのかもしれませんね。

学校用語じゃなくても「歩道橋」とかも最初は分からなかったみたい。

 

それから高学年なら当然知ってるために先生がわざわざ言わないこともある。

例えば朝、黒板に書いてあること(明日の時間割とか持ち物とかの重要事項)は、連絡帳に書き写して家に持って帰る、とか。

これを知らなかった長女は、黒板に何か書いてあるけどなんだろう?とそのままスルーして帰ってきて、「時間割は?」「まだもらってない」「じゃあまだ授業始まらないのかもね」という会話をして、ランドセルと筆記用具だけ持っていったところ…がっつり平常授業でした!ということがありました。

周りの友達に教科書を見せてもらったり、先生にコピーしてもらったりして、なんとかしのいだそうです。

こういう時、頭ごなしに叱る先生じゃなくてよかった…。そうされたらもう学校に行きたくなくなっていたと思うので。

「大丈夫!大丈夫!なんとかなる!」というのが口癖の先生で、かなり助かっています。

 

【国語】

苦手な漢字は苦手なまま…。

しかし、漢字テスト毎に90点以下は再試をするとのことで、かなり力がついてきたようです。

本の学校のこういうきめ細かさ、有り難い…!

補習校では各家庭で求めるものが違うし、時間が限られているので、ここまではできません。

 

【算数】

正直、補習校と現地校の授業をしっかり受けていれば大丈夫そうでした。

ただ、コンパスを使って図を描くことは、慣れていないと時間がかかりすぎてテストの時間中に終わらなかった…と言っていたことがありました。

現地校ではやらないので、ちょっと練習しておいたほうがいいかもしれません。

 

【社会】

これまでアメリカ50州の州都やアメリカの歴史を学んでいたのに、突然日本の産業や地理を学ぶためかなり戸惑うようです。

先生が授業中に「これ知ってる?」と軽く雑談的に問いかけるものも、「なんの話か分からなかった」と言っていました。

「どこか都道府県に行ったことある?そこで何をした?」という授業のとっかかりとなる問いかけにも、かろうじて祖父母の住む場所を答えられたようですが、保育園時代に行った北海道や沖縄のことなどはすっかり忘れているようでした…。

とりあえず圧倒的に足りない知識や経験を埋めるため、小学生新聞を取って毎日読むようにしています。

 

【理科】

「現地校でもやったようなことをやっている」と言っていました。

それでも日本にしかいない生物や、器具の日本語の名称にはちょっと苦労してるかな。

でも、あー、あれのことかー、と頭の中で繋がっているので、社会よりだいぶましなようです。

 

「補習校では天才でも、帰国したら一番下。」とかよく聞いていましたが、「そりゃそうでしょ、当然でしょ」と思ってたので、まぁ予想通り、というか正直思ってた以上にすんなり馴染めたのでびっくりしています。

 

「高学年女子はグループが固まっていて途中で入るのは難しい」とかも聞きますが、クラス替えがあったばかりというタイミングもあり、何人か親しい子もできたようですし、ほっとしています。

意外と着ているTシャツのキャラクターの話で盛り上がったり、ささいなきっかけで話が弾むことがあるみたいです。

 

次回は主要4教科以外の話を書いてみたいと思います。

 

 

日本の小学校の夏休みの宿題の量は…?

ご無沙汰しております。

春に日本に本帰国しました。

さて。

 

ここで日本語補習校の宿題の量を書きましたが、では帰国して実際、日本の小学校の宿題の量はいかほどか。

(すごい多いのかな…どきどき…)

 

自由研究

読書 3冊以上(読書感想文は書かなくてよし…!)

お家のお手伝い

作文

植物観察カード

国語プリント、算数プリント各1枚

 

以上でした。

あれ…少なくない…??

私達が小学生の頃の毎日絵日記とかドリルとかはいずこへ…。

高学年でみんな夏期講習とか行くのも考慮してるんでしょうか。

結構拍子抜けしました。

子どもが産まれてからの11年を振り返る

こべにさん(id:kobeni_08)の記事に触発されて、私も親としての10年、じゃなかった11年を振り返ってみたいと思う。

www.e-aidem.com


2007〜2009年 長女出産、時短勤務

長女を産んだのは2007年。
出産前に母ががんにかかった。
初期だったので手術で除去できたが、力仕事ができなくなったので、これを機に母は仕事を辞めた。
私のサポートをするね、と言ってくれた。

 

私はおとなしい赤ちゃんだったらしく、「赤ちゃんはミルク飲んでるか寝てるかだから大丈夫。」と母から聞いていた。
しかし長女はそんな赤ちゃんではなかった。
夜泣きで不動産屋から苦情の手紙が2回きて、泣き始めるとまた手紙が来るんじゃないかとびくびくし、公園や夜の街に出て行って散歩。寝付いたかなと思ってベビーベッドに置くとまた目覚めて泣く、という日々が続いた。

 

入社3年目で産んだため、周りの友達は誰も子どもを産んでいない、ツイッターもブログもやっていない、まだガラケー全盛期だった。

 

年上の女性の同僚に「こんな時期に結婚するなんて仕事のことを考えていない。」
「育休中に赤ちゃんを会社に連れてくると、あなたのイメージが下がるかもしれない。」と言われ、私は結婚出産した自分に「罪の意識」を常に持っていた時期だった。


妊娠の報告を上司にした時も「いいニュース?悪いニュース?」と聞かれ、「悪いニュースです。」と言った覚えがある。
その時上司はすごく喜んでくれて、「悪いニュースじゃないじゃん!いいニュースじゃん!おめでとう!」と言ってくれてびっくりした。そうか、めでたいことなのか、と。

 

出産後、会社から「元気にしてますか?」というメールが時々くるが、ずっと赤ちゃんを抱っこしているので(抱っこしないと泣く子だった)、パソコンを開くこともままならず、返信はとてもできる状況でなかった。
内祝いを送ろうと思ってパソコンを開き、住所入力している途中で泣かれ、抱っこをし、少し落ち着いたかなとパソコン前に戻るも、「30分以上入力がなかったため、初期画面に戻りました。」という画面になっていることが何度もあった。


片手で操作できるスマホがない時代の私は孤独だった。
家庭訪問の助産師さんに「子ども広場にぜひきてねー。」と言われても、夜泣き対応で午前中は子どもをラッコのように腹に乗せたまま爆睡していた。

 

会社では私は事業部内で初の産休育休を取った社員だった。
総務に聞いてもよく分からず、別部署にたくさん産休育休を取った女性がいるから、と紹介してもらった。
先輩WMにたくさん相談して、その方達が心の支えだった。

 

長女出産後10ヶ月で職場復帰。
産後うつ育児ノイローゼ寸前だったので、「やっと自由になれる」という気持ちでいっぱいだった。
それでも復職すると「もっとゆっくり休んでてよかったのに。」という声。
「私は限界なのに、なぜそんなことを言うの、これ以上家にいたら壊れてしまう。」という思い。
「私は会社に必要とされていない。」という悲しい現実。

 

復職した後は、時短勤務でも支障のないように、自分のペースでできる仕事になった。
私もそれを望んでいたし、職場も最大限の配慮をしてくれたと思う。
しかし、自分が休もうが外出していようが誰にも迷惑がかからず、誰も私のスケジュールを気にしていない、完全なる職場のお荷物というか空気と化して、マミートラックをぐるぐるしている現実は辛かった。
「私、このまま技術も何も身につけられず、お荷物のまま定年まで会社に行くのかな」と思うとぞっとした。
上司も変わり、新しい職場の知らないWMにどの位仕事をさせていいかも分からず、困っていたと思う。

 

暇なので、先輩WMが企画したイベントを手伝ったり、ふらりと外出して他の会社の話を聞いたり、好きなことを好きなだけやった。

 

みかねた上司が「やりたい仕事のアイデアを出して」と言ってきたので、色々と案を出し気になっていた他社に連絡を取ったところ、思いがけず大きな仕事を任せてもらえることになり、2年間で時短を終了、全日勤務に戻ることにした。


2010〜2012年 全日勤務、次女出産

この期間は「実家カード」を使いまくり、母にお迎えや夕飯を頼んで、働きまくった。
久しぶりに全力で働く日々。
仕事は大変だったけれど、充実していた。

 

今思うと、その頃職場にようやく増えてきていた後輩女子にとってはあまりよいロールモデルではなかったかもしれない。
出産、妊娠してもあんなに働かなきゃいけないんだ、って思わせてしまったかも。
それでも全力で仕事ができる期間があったのは幸せなことだった。

 

その頃先輩と企画した会で、会社で唯一の女性管理職である方は「もし転勤と言われたら、迷わず単身赴任する。」と発言した。
後輩達は「そこまでしないと偉くなれないんだ。」とその言葉をかみしめていた。

 

段々私も子どもも母も疲弊していった。このままだと壊れるな、と思う働き方だった。
次女妊娠中も産休直前まで終電まで働いていた。実際は体がつらくてとても終電には乗れないので、タクシーで家に帰っていた。
夫も同じような働き方で、土日はどちらかが子どもを見て、どちらかは休日出勤していた。

 

夫が続けて2回、事故にあって救急車で運ばれ、その度に母に長女を見てもらって病院に向かった。
「後遺症が残るかもしれない、死ぬかもしれない、そしたら私が大黒柱になって家族を支えよう。」と病院に向かうタクシーの中で考えたことを思い出す。
幸い夫はその後元気になって働いているけれど、人生って何があるか分からないということを身近に感じた。


2013〜2018年 待機児童、海外赴任帯同、退職

次女を出産して3ヶ月後に職場復帰を試みたが、保育園に入れず待機児童になった。
ここまでは想定内だったので、あと1年育休を伸ばそうとしていた。
そこで夫が海外赴任の可能性があると言ってきた。
「はいはい、単身赴任ね。」と思っていたが、色々あって結局、帯同することに決めた。

 

satsukinmnl.hatenadiary.jp

 

satsukinmnl.hatenadiary.jp

 

やっと母親離れできたのも、渡米する時だったと思う。
就職して一人暮らししても実家の近くでしょっちゅう会っていたし、子どもが生まれてからは母の手がないと生活が回らなかった。
けれど、アメリカには親戚も友達も知人もいなくて、夫も月の半分くらい出張でいなくて、一人でとにかくやるしかなかった。
母は不整脈が出るようになって、とても十数時間飛行機には乗れないと言っていたし、実際パスポートも持っていない。
私に何かあった時どうするつもりなんだろう?と思ったけれど、絶対に家族全員死なせないで日本に帰ってくること、それが私のやるべきことなんだな、と思った。

 

育休を最大限取ったけれど、結局育休期間中には日本に戻れず退職。
後輩女子に「やめるなんてもったいない、再就職しても制度的にすごく不利ですよ」とLINEをもらうも、子どもがアメリカの生活に慣れてきたばかりということもあって退職に踏み切った。

 

再就職制度があるのでそれに登録した。
再就職の際に時短勤務ができない制度だったので、辞める前に後輩達のためにできることを、と思って再就職後も時短勤務できるように組合と会社に掛け合った。
この時も先輩WMと女性管理職が強く支援してくれた。
その後、時短勤務可能になったらしい。
やるべきことはやったな、とすがすがしい気持ちで退職できた。

 

アメリカにいるうちに祖母が亡くなった。
お葬式も出られなかった。
海外で暮らすというのはそういうこと、と思って、渡米前にたくさんの人に会っていた。
特に70代以降の人とは、これが最後に会えるチャンスかもしれない、と思って。

 

18歳の時にもう一人の祖母が亡くなった時、私は食べられなくなり、その後3年間くらいうっすらと死にたかったけれど、この時の私は少し泣いて、それでも家庭を回し続けていた。
歳をとって家族を持つことってこういうことなんだな、と分かった。
悲しいことがあっても落ち込む暇がない、家族の生活がかかってるから自分は絶対に死ねない。

 

アメリカで私は強くなった。
でも孤独ではなかった。
クックパッドでこちらで調達できる材料でできる日本食を調べ、ツイッターでみんなと遊んで会話し、ブログを書いた。
インターネット最高!
ネットとスマホがなかったら、私はあっという間に孤独にはまって抜け出せなかっただろう。

 

退職後に別の会社から、子どもが学校や幼稚園に行っている間にできる仕事をもらって細々と仕事もした。
担当者の方は夫さんの転勤で引っ越したが、在宅勤務で引っ越し後も同じ業務をされていた。
本当にインターネットは最高だ。それをうまく使いこなして働き続けられるようにする会社もたくさんある。


新卒の時は毎日でも働けるし、転勤も怖くないから全く分からなかったけれど、転勤が当たり前、残業が当たり前、の会社もあれば、在宅勤務OK、フレックスOKの会社まで様々な社風があって、その風って思ったよりびゅーびゅー吹き付けてくる。
毎日向かい風にあたってると、そこで働くのがつらくなる。追い風だと働きやすい。
だから自分にとって追い風の会社を見つけるのが大事だな、と今は思っている。

 

日本に帰国したら、日本の学校に通ったことがない子どものカルチャーショックに対応しなければいけないし、アメリカでは車で送迎していたのにいきなり一人で留守番しなさい、電車に乗って習い事や塾に行きなさい、とは言えないので、働き方はセーブしようかなと思っている。
母も歳をとって昨年手術も受けたので、前のように全面的に頼るのも避けたい。

 

介護をしながら働いている方に、退職することを伝えた時「いつかまた働ける時が来るから、焦らないで。」と言って下さった。
今、その言葉が響いている。

 

振り返ってみて、この11年は目まぐるしく状況が変化する特別な11年だった。
働き方や家族についての考え方もがらりと変わった。
ここからの10年はどんな風になるだろうか。きっとここからもどんどん変化するに違いない。そんな自分が今、とても楽しみ。

アメリカ現地校に通う小学生が英検2級に合格するための二次試験対策

「現地校に行ってる子だったら、二次試験は軽く合格する」
と聞いていたけれど、英検のホームページで確認したら、結構難しい…!
Speakingが弱いと毎年指摘されている子どもには、対策なしにはとても無理だろう…。

 

スタディギア

まず、スタディギアに載っている模擬面接をやってみた。

なんだかベラベラと喋っている。一見すごく喋れている風だ。
だが、肝心の「あなたは賛成ですか?反対ですか?」ということに答えないで、いきなり自分の考えを喋っている。これは一対一で教えてもらったほうがいいな。

 

DMM英会話

 

ということで、Skype英会話で英検二次試験対策をしてもらえるDMM英会話に1ヶ月だけ申し込んだ。

最初の音読からかなりのダメ出し。
現地校ではナチュラルスピードで音読することを重視されているので、複数形や冠詞を飛ばして読んでしまっている。
英検ではスピードではなく、正確性を求められるので、かなり直されていた。


質問への答え方もやはり最初にagreeかdiagreeか、はっきり答えることを指摘されていた。
25分のレッスンを終えた後、「もう嫌だ…」と子どもが言うくらい、たっぷりしっかりがっつり指導してもらった。

 

家で模擬面接

 

横で聞いていて、そこがポイントなのね、とか、そこがうちの子の弱点か…とかよく分かったので、子どもに気をつけるべきことを伝えて、うちでも何回か模擬面接を行った。

 

結果

 

二次試験後に手ごたえを聞くと、「やさしいお姉さんだった!」と嬉しそう。
面接官は、普段現地校で聞いてる英語よりかなりゆっくり、分かりやすく話してくれているという感じ。ナチュラルスピードでは全然ない。
「最後の問題の意味が分からなかった…」と言っていたけど、それ以外は理解できていたみたいなので、まぁ大丈夫かな、と思っていたけれど…

 

結果はG2+1と、かなりぎりぎりだった。
これは対策してなかったら、確実に落ちていたのではないかと思われる。

 

重要なのは、一次試験の結果を待ってると全く時間がないので、一次試験終わったらすぐに二次試験対策を行うこと。
親が自分で指導できる力がなければ(←私)、外部の力を借りること、というのが結論。

 

 

アメリカ現地校に通う小学生が英検2級に合格するための一次試験対策

「英語を使う帰国枠中学受験を考えるなら、英検2級は必要ですね。」

と渡米1年後に聞いた私は思った。
そんなの絶対無理無理無理!

 

私は高校生の時に英検準2級を取ったきりで、その上の2級を小学生が取るなんて想像もできなかった。

 

が。その3年後。
渡米後4年となる小4の子どもは、英検2級に合格した。

 

そして海外の英検2級の会場は小学生ばかりで、一緒に受けた私は教室の中でかなり浮いていた。
小学生で英検2級を取ることは、現地校に行っていれば全然特別なことじゃないんだと実感した。

 

一応、英検受験に際し、1ヶ月間、対策はした。

今回は一次試験対策について書いていきたい。

 

「スタディギア」


これは英検を申し込むと無料で使えるweb教材で、絶対にやっておいたほうがいい。
単語、文法、リスニング、リーディング、語彙問題、ライティング、二次試験対策が勉強できる。

 

時間が足りないのもあり、子どもがやったのは単語を週3回くらい。
iKnow!のようにしつこく何回も同じ単語が出てくるので、定着率がよかったと思う。

 

文法が弱いのでもっと勉強してもらいたかったが、日本語の説明が難しく、挫折。。

 

日替わりで出てくるリスニング、リーディングの問題は、短いので嫌がらずにさくっとやれて、ほぼ全問正解できるくらいになっていた。

 

「英検2級 文で覚える単熟語」

 

CD付 英検2級 文で覚える単熟語 三訂版 (旺文社英検書)

CD付 英検2級 文で覚える単熟語 三訂版 (旺文社英検書)

 

 


単語熟語と、リーディング、リスニングも一緒に対策できる一石三鳥の本。

 

単熟語といえば「出る単」だと思って子どもと本屋で見てみたけど、
「こんな辞書みたいの絶対読まない。」
と拒否されたため、こちらを購入。

 

毎朝見開き2ページ、読んだだけ。
文章が面白く、為になる内容だったので、毎日楽しく読めた。
親子で内容について話し合ったりした。
過去問のリーディングの内容も含まれているので、自然にリーディング対応にもなる。


あとはリスニング対策になるかなと、付属のCDを車の中でかけっぱなしにして聞いていた。

 

英検過去問


英検のホームページに3回分の問題と解答が公開されているので、やった。
リスニングも含まれているのが素晴らしい。
過去問問題集は買ってない。
3回やるので精一杯だった。

 

ライティング対策


ライティングは現地校でエッセイの書き方の基本を習っていたので、それをベースに。
一応、英検のライティングは書き方のパターンが決まっているので、下記の書き方で書くように練習した。

 

I (do not )think that…
There are two reasons.
First,(理由1)
For example, …
Second,(理由2)
For instance, …
For these reasons, I (do not)think that…

 

以上の対応で、過去問でリーディング8割、リスニング9割取れるようになり、ライティングもまともな文章が書けていたので、大丈夫だろうと受験した。

 

一次試験の結果は、G2+10という英検バンドで合格していた。

f:id:satsukinmnl:20171117085336j:image

なんだか少し勉強すれば準1級に手が届きそうなグラフになっており、せっかくだから準1級も来年受けてみるか!という気持ちになる。

実際は準1級に必要な単語数は半端ないのでそんな訳にいかないと思うのだが…まんまと乗せられてその気になっている。


次回は二次試験対策について書いてみようと思う。

 

アメリカのハロウィン

 

アメリカでハロウィンを経験するのも5回目だ。
小学校低学年まではほとんどの女の子がプリンセスの仮装なのに、高学年になるほど魔女になっていくのを見るのも感慨深い。✳︎

 

アメリカのハロウィンで謎なのは、
アメリカの親御さんはテレビや映画で血が出てくるのをかなり気にするのに、
(子どもの友達で「『千と千尋の神隠し』は血が出てくるから」とお母さんが見せてくれなかった、というアメリカの子がいる)
ハロウィンはグロくて怖くて、教育上いいのか??というところ。

家の前の庭がお墓になっていて、血だらけの腕が地面から生えているとか、
ベランダにガイコツと大きい黒い蜘蛛を飾って大音量で怖い音楽流してるとか、
普通にあるし、
血だらけの人がハロウィン当日はたくさん歩いてる。

f:id:satsukinmnl:20171031103223j:image

ベランダからガイコツがのぞいていて、スピーカーから怖い音楽流してるお部屋。怖い…

 

子どもが小さい時は、ハロウィンに免疫がないのもあり、薬屋のハロウィングッズ売り場を歩くのも怖がって大変だった。

日本とアメリカの「教育上よくない」という基準は全然違うんだろう。
それが、ただ日本より厳しいだけではないので、不思議に感じる。

小学校でのハロウィンの仮装は、血禁止、武器禁止、そしてなぜかクラウン(ピエロ)禁止だった。
なぜクラウン禁止なのかは私には分からない…けど、そういう怖い映画があるのだろうか…?

また、アメリカらしいなぁと思うのは、「仮装をしてくるのは任意です。仮装パーティーに参加したくない人は事前に担任に連絡してください。別のアクティビティを用意します。」と書いてあったところ。

これは、遠足でもビデオ鑑賞でも必ず書かれていて、実際にご家庭の考えにより、参加しない子もいる。

 
ハロウィンの夜はそれぞれの家が様々な趣向をこらして仮装した人々を迎え入れる。
怖いホーンテッドハウス(怖すぎて小学校低学年は入れないレベル)、焚き火をしてマシュマロを焼かせてくれる家、ガレージで映画を見せてくれる家、熱いアップルサイダー(スパイス入りのりんごジュース)を配ってくれる家。

ハロウィンで有名な通りにある一軒家は、毎年それぞれの家の役割が決まっているらしく、それを知らずに引っ越してきた家族が「あなたの家はポップコーンハウスだから」と言われて、千人以上にポップコーンを配らなくてはいけなかった、という話も聞いた。

これを聞いた私は震え上がり、「一軒家を買う時はハロウィンに何らかの役割がないかどうか確認すること」と心のメモ帳に記入した。アメリカで一軒家、買わないけど。

 
ハロウィンの日は学校から宿題が出ない。
子どもたちはみんな夜トリックオアトリートで出歩くから。
前に通っていた学校は、さらにハロウィンの次の日は学校がお休みだった。
ほんとにアメリカではハロウィンは一大イベントなのだ。
ここから11月のサンクスギビング、12月のホリデー、とイベントが続き、あっという間に今年が終わってしまう。
そして新年1月は2日から普通授業開始。それがアメリカである。

 

✳︎10/31追記

2017年の小学校高学年の仮装を見たけれど、今年は魔女が少なかった。

その代わり、それぞれ思い思いの格好をしていてほんとに楽しかった。

ピザ、スタバの飲み物、タコス、m&ms、バナナ、ゴリラ、ゴーストバスターズ、レディガガ、ヒッピー、ヒップホップスター、ガイコツ、忍者、ハンドスピナー…等々。

反対に、幼稚園は安定のエルサだらけだった。