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かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

「家事労働ハラスメント」を読んで

この本を買ったのはかなり前のこと。
自分のことを主婦と名乗るのにとても抵抗があって、休職中会社員とか元ワーキングマザーとか名乗ってたころ。
うんうんうなづきながら読み始めたものの、自分も家事労働を軽蔑しているのに気づいて辛くなって途中で断念。積ん読本になっていた。
 
そして最近、やっぱり読まないとだめだ、と思い直して、一気に最後まで読んでみた。
 
 
家事をしながら賃金を稼げるような労働時間の規制や、短時間労働でも賃金を買いたたかれない正社員とパートの均等待遇は無視され、むしろ、「(女性)活用」の名の下に家事労働と仕事の二重負担は過酷さを増しつつある。
 
「妻つき男性モデル」とでも呼ぶべき、妻の支えがなけれぼ難しい長時間拘束労働が条件の正社員には、女性にも「擬似妻」が必要ということだ。だが、家事や育児を抱えてそれができない圧倒的多数の女性たちは、出産などを機に退職に追い込まれ、パートなどの非正規労働者として再就職することになった。
 
この前半の二箇所、痛い痛い…そして、そうそうそう!!が渦巻いた。
ワーキングマザーやってた時は、「奥さん欲しい!保育園お迎え行ってご飯作って食べさせて風呂入れて寝かしつけしてくれる優しい奥さん欲しい!!」と思ってた。
じゃないと立ち行かなくなるのだ。
 
そしてぼんやりと、今後仕事したくても、年齢的にも、時間制限的にも、パートかなぁ…と諦め半分の考えを巡らす自分がいる。
 
 
 
(「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」に賛成する20代女性が増えていることについて、)
家事を担う性の外へ出ることへのあきらめの表れとも読める。専業主婦に戻ろうというやさしい呼び声の罠に、家事労働ハラスメントに疲れた女性たちが引き寄せられようとしている。
 
これも、私は全くこの考えには頷けないけど、それでも就活に疲れて、永久就職先の結婚、主婦に憧れる気持ちも分からないでもない。
どうせすごい頑張って就職しても結婚出産したら育児と家事は自分がやらなきゃいけないから、共働きとか絶対無理、という絶望も。
 
 
 
女性が家計のもうひとつの柱として機能できるようになるには、実は次の条件が最低限、必要だ。
1 労働時間の短縮で、家庭の女性が一人で引き受けてきた家事や育児や介護、そして地域活動などの無償の労働を働く男女で引き受けられる余地を増やすこと、
2 これらの無償労働を、介護・保育施設などの社会サービスが一部分担することで、家庭が抱える無償の労働の負担を軽くすること、
3 家庭内の無償の労働を男性も分担すること、
の三つだ。
1は企業、2は行政、3は男性の分野で、この三者が分け持つことで、女性が一手に抱えていた家事労働が分散され、女性は空いた時間で賃金の稼ぎ手に回ることができる。
 

 

これはすごく正論でまさにその通り。
だが、実際は、女性が仕事も無償労働も全部やってね、頑張ってね、というのが今の日本の現状じゃないだろうか。
 
1は長時間労働が普通の会社内で、女性が短時間労働を求めれば、お母さんは早く帰れていいね、と嫌味を言われ、周りの社員にしわ寄せが来ると文句を言われ、早く普通勤務に戻れるようにしてね、とプレッシャーをかけられる。
そして女性だけの問題に押し込められる。
でも、実際は男性も女性も、家に帰って生活する時間を確保できる勤務時間が本来あるべき姿なのだよね。
 
2は保育園が頑張ってくれてるけど、数も足りないし、長時間労働してる人が優先的に入れるようになっている。一度専業主婦になってしまった家庭だと入れる見込みは全くたたないのが東京都市部の現実。
できれば専業主婦家庭だろうが共働きだろうが、入りたい人は誰でも入れるよ、という場所になって欲しい。
専業主婦にも自分の時間は必要だし、いざ就活しようとしても、子どもを連れて就活はできないし、預け先がなければ働けないから。
 
3は男性は会社で疲れすぎている。
だが、本文中に指摘があり、夫の性別役割意識には関係なく、妻の収入が低いと夫は家事をする時間が少ないことが分かっている。と。
俺より収入が低いんだから家事をやれよ、もしくは、夫が稼いでくれるから私は家事くらいやらなきゃ、という考えになるということ…?なんてこと…。
でも、思い当たる節は自分にもある。
夫と自分の収入比率を見て、その比率分、自分が家事育児しよう、と思ってたし、稼ぎのない専業主婦の今は、家事育児は自分の仕事だと思って平日は99%私がやっている…。
なんか、稼いでないと引け目を感じてしまうんだよね。。
そうして家事労働を自分の仕事と思い込み、夫も家事労働は妻の仕事だと思い込むことによって、有償労働できる時間が減っていき、収入に結びつかなくなる、、という悪循環。嗚呼…。
 
 
村瀬さん(1980年代に専業主夫になった方)は、
男が夢を追う陰で、女は夢をあきらめていると気づいたという。
 
この記述で、私は川上未映子を思い出した。
出産(と家事、育児)をしていなかったら小説家として長編何本書けたか…!ってすごく、葛藤していて、それをきちんと見せてくれた。
育児してることによって、前よりもっといい仕事ができるようになった!とか言わず、(もちろん「きみは赤ちゃん」は育児してなかったら書けない素晴らしい内容なのですが。)子育てによって自分の使えた時間がなくなるのは事実で、根性だけではどうにもならない。
と現実をしっかり伝えていた。
 
そうなんだよ、それが事実なんだよ…。
女性は、いや、本来は男性も、家事労働が増えたら増えた分、時間がかかるから仕事時間を短縮するか、外部に委託するかしないと無理な訳で…。単純なことなんだけど、なんかそれを無理矢理、育児は素晴らしい!仕事にもプラスになっていい仕事ができるようになります!みたいなのって嘘だよな、というか理想論だよな…と思う。でも私、その幻想を上塗りすることに加担してきたな、、という苦い思いもある。
 
 
(ファザーリング・ジャパンのホームページの記述)
「(カナダでは)「家庭での役割を担っている男性社員ほど、労働者としての生産性も高い」という企業を対象にした調査結果を基にした共通認識がある」
 

 それを受けて本書では、

「企業の労働時間短縮」を求めて要求の旗を振る社会的勢力は弱まっている。そんな中では、企業活動との妥協なしでは男性の家事・育児への参加を推し進めることは難しい。働き手の人権としての再生産分野の評価をすすめたくても、戦略的には、「生産する身体」の強化に役立つものとしての再生産分野の再評価を押し出さざるを得ない状況が生まれている。
 
そうだなー、と思う。
育児家事することで、働く上でもプラスになります、という言い方、本当によく見かける。
たしかワークライフバランス社の小室さんもそういう内容の資料で国会議員に説明してるのを見たことがある。
 
働くことが上にある、働くことが偉い、働くことを第一に考えて行動すべし、そんな見えないプレッシャーを感じる。
 
労働にもいいことが返ってきますから、育児家事する時間を取らせてください、って企業経営者や国にお願いする感じ。
全然、労働者と対等ではない。
この本にある通り、育児家事、生活することがまずは基本なのに、いつの間にかそれは逆転している。
 
 
「妻の手伝い」としての男性の育児参加ではなく、また、生産性を上げられる社員になるための育児参加でもなく、どんな家族形態でも、男性でも、女性でも、子育てしながら働きやすい労働環境へと社会を転換させることこそが急務なのだと、村上さん(シングルファザーの方)はいま、考えている。
 

 

もうほんと、その通り!

だけど、その当たり前のことが、なんでこんなにも難しいんだろう…。
なんでみんなこんなに悩まなきゃいけないんだろう。
なんでそれが贅沢なことで、権利だけ主張するプロ意識の低い人たちみたいに日々取り上げられるんだろう。
 
 
 
そこで、ワークライフバランスを違う方向性で実現しているオランダとスウェーデンの例。
 
かつて専業主婦大国で、保育所が圧倒的に足りないため、男女共にパートタイムを選べて、家族で家事育児するオランダ型。
パートタイムの立場は、フルタイムとの時間比例での均等待遇を導入している。
 
それに対し、
男女共にフルタイムで働いて納税し、家事育児は税金による公的サービスによる支援を受けるスウェーデン型。
 
スウェーデンの1998年の調査では、
若い世代では家事の均等分担がかなり実現されているが、女性が出産して家庭にとどまっているうちに家事負担が女性に偏るようになり、職場復帰してもこのアンバランスが続きがちになることが浮かんできたという。
 
これは今の日本の若者でもあるあるなのでは…?と思った。
それじゃスウェーデン型がいいのか、というと、環境的には日本はかつてのオランダに近い気がするし、悩ましい…。
私自身は家事労働は苦手なので、スウェーデン型で構わないんだけど、でもできれば色んな働き方(専業主婦も含め、ね)が自由に選べるといいのに、と思ってた。それがダイバーシティってもんじゃないの、と。
けれど、これらの事例を見ると、税金の使い方や年金の点で国の関与は大きいし、労働時間や待遇等で企業の関わりもとても重要なので、こういう方向に進みますよ、という大きな道筋を国が示すのは必要かつ重要なんだなー、と思った。
 
 
そして、
 
だが一方、税金による公的福祉で育児や介護を支えようという合意がない社会では、「女性の経済力による新しい豊かさ」の実現のために、別の「踏み台」に頼る動きが広がっていた。移住女性や、低所得層の女性などによる家事労働者の活用だ。
という前置きに続いて始まるのがシンガポールの事例。
 
欧州では、税を投入して政府が施設を増やし、雇用差別の禁止と労働時間の短縮を行い、企業が受け入れて働き手に家事時間を返し、夫もその時間の一部を使って女性の家庭内労働を分担する形で、国、企業、男性による女性の家事労働を軽減し、女性の経済力を確保する、という構図が生まれつつあった。
一方、女性の家事労働の分担に税金を投入することに社会的合意が得られない国は、国も企業も男性も、また、家事労働への蔑視も、変わらないまま、自国の女性を家庭から引き出そうとする。家事労働の受け皿になるのは、「社会の外」の存在、「安くても当然とされる理由を持つ人々」

 

そしてまさにこの方向に日本も進もうとしていないか…?と。
国も企業も男性も変わりたくない、変えたくない、となると、自国の女性よりさらに弱い人達に家事労働をさせようという方向になっていく、と。
 
 
 
また、この本の中には、男性達の働き方の辛さについても言及されている。
 
生産労働に従事する男性の身体は「働く機械」としてつくられたものであるということだ。(中略)しかも、機械であることが「男らしさ」や「女性への優位性」の証拠と思い込まされるため、男性は自発的に機械となり、生身の身体を壊す働き方へと自分を駆り立てていく。
家事・育児・介護が世の中には存在しないかのように設計された極端に長い労働時間の職場。そんな働き方によって、健康を損ね、ときには死にまで追いやられた人たちがどれだけ多いかは、過労死について書かれた多くの資料をひとつでものぞいてみれば、すぐにわかる。一方で、家事や育児や介護を担うべきものとされた人たちは、職場でハラスメントを受け、低賃金と不安定な職場に追いやられていく。
 
まさに、「男もつらいけど女もつらいのよ」。
どちらも異なる種類の辛さを抱えているのに、男vs女、もしくは働く女性vs専業主婦、のような形に押し込められやすいのは不幸なことだと思う。
 
ワーク・ライフ・バランス政策の根幹は、家事労働の再配分にある。ワーク(有償労働)とライフ(無償労働)の二つの領域のバランスをとるということは、働きながら家事もできるなんらかの労働時間政策が必要ということを意味するからだ。
そうした社会で謳われるワーク・ライフ・バランスは、働き手が自分の工夫で効率よく働き、自主的に労働時間を短くする(仕事が終わらなければ自己責任)、ただの生産性向上運動に転化しつつある。
 
ワーク・ライフ・バランスは、家事労働の再配分が肝、
という考え方は本書を読むまで私の中にもなかったなー、と思う。
生産性向上運動、まさにそういう捉え方だった。
でも、今までずっと頑張ればなんとかなる、そういう個人の努力に頼ってきて、みんな疲れてる。
努力できた人が、キラキラママ☆、イクメン、と祭り上げられて、だからあなたも頑張りなさい、というのはもう限界。
もうみんな頑張れないよね、つらいよね、という共通認識を持って、じゃあこれからどういう風に働き方や制度を変えようか?どうやって家事労働を分担していこうか?って考えるほうがはるかに前向きなのかもしれない。
 
新しい視点を授けてくれた、そして自分の中の気づいていない差別意識をあぶりだしてくれた良書だった。
 

 

  

きみは赤ちゃん

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