かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

アメリカ3年目の3歳児の様子

前回は長女のことを書いたので、今回は3歳の次女のことを書いてみようと思う。

 

0歳8ヶ月で渡米した次女は、今では日本に暮らしていたよりもアメリカで暮らした期間のほうが長くなった。

しかし、彼女は日本語しか話せない。

 

アメリカのプリスクールは2歳9ヶ月から受け入れる所が多く、それまでは私とべったり一緒にいた。

テレビジャパン(アメリカのNHKを中心とした日本語放送)で「いないいないばぁ」や「おかあさんといっしょ」を見て、私と公園で遊ぶという日々を過ごしていた。

 

2歳9ヶ月になった時、日系のプリスクールに通うか、現地のプリスクールに通うか、両方通うかの選択肢があった。

しかし、日系のプリスクールが遠いこと、日系に初めに入れてしまうと現地のプリスクールを嫌がることが多いと聞いていたこと、次女の何事にも動じない性格から、現地のプリスクールに週3日通わせることにした。

しかし、これが失敗した。

私と離れる時に泣くことは想定していたが、「泣き止まない」「昼寝をしない」としょっちゅう呼び出される。

日本語が分かる人が1人もいない環境で、ようやく日本語でおしゃべりすることが楽しくなってきた次女は、意思疎通できないことがかなり苦痛だったようだ。

それでもよくあること、と3ヶ月程通わせていたが、とうとうある日大泣きして車から降りようとせず、車から引きずり降ろして泣きわめいて逃げようとする次女をなんとか引きずって登園させた1時間後に、「疲れたのか眠ってしまったためお迎えにきてくれ」との連絡。

あの苦労はなんだったのか…とぐったりした気持ちで迎えに行き、結局その日以来、登園しなくなってしまった。

「幼稚園行こうか?」と言うだけで泣き出し、無表情になってうつろな目をするようになってしまった次女を見て、これはやばい、と思った。

いつも表情豊かでニコニコしている次女がこんな顔をするのは見ていられない、と思った。

その後先生との面談の機会があったが、「英語を話そうとしないので困る、意思疎通ができない。」と言われ、どうしたらいいと思うか?と聞いても「分からない」と肩をすくめられた。

「英語が話せない子も何人も受け入れている、すぐにみんな英語を話すようになる。」と入園前に責任者は自信ありげに話していたが、現地の小学校や中学校とは違い、プリスクールではESLの先生はおらず、小さいからすぐに慣れる、という経験則で話をしていたようだった。

「他の子は両親が英語を話せる人だったし」と言われ、私が英語が話せないことが原因なわけ?と思ったり、先生との信頼関係も失われ、具体的な解決策も出てこなかったため、退園した。

 

次のプリスクールに入るまで、次女と一緒に図書館で行われるstory timeやダンス教室に通った。

それでも英語の絵本の読み聞かせや手遊び歌はあまり興味を示さなかった。

行くとスタンプを押してもらえることや、歌に合わせて鈴を鳴らしたりするのが楽しみで「またいこうね!」と言うのだが、英語は彼女の中に浸透していく様子がなかった。

長女が英語のテレビを見ていても、「これは長女の。」と言って一緒に見ようとはせず、アンパンマンを熱心に見ていた。

 

在米の日本人の方々にも相談し、これは日本語のプリスクールのほうがいいな、と判断、日系のプリスクールを見学し、入園した。

最初のプリスクールの反省から、週3日だと通うリズム、習慣が身につきにくく嫌になりやすいと思ったので、週5日。ただし昼寝がネックだったので慣れるまでは午前中だけの登園とした。

最初はやはり泣いた。

車から降りたがらず引きずり降ろすこともあった。

しかし、日本語が通じること、アンパンマンのおもちゃがふんだんにあること、先生が粘り強く対応してくれることから、毎日ニコニコしながら登園できるようになった。

「ようちえんまたいこうね!」と言う次女を見て、これでよかったんだ、と思う。

 

アメリカにいながら日系プリスクールに通うのは不自然なのではないか、現地校で頑張っている長女に不公平感が出るのではないか、と思った時もあった。

しかし、まずは次女が親と離れて楽しそうに登園できることが最優先だな、と思う。

今では英語のミッキーマウスクラブハウスを見たり、週に何回かある英語の先生のレッスンを楽しんでいたりするので、自然と時が来れば英語も楽しくなってくるだろう、と思っている。

そして、日本語でのおしゃべりがどんどん 上手になっていく3歳児を見るのは本当に楽しい。

親のエゴかもしれないが、母語で家族と意思疎通できるのはたまらなく幸せなことだなぁ、と感じる今日この頃である。