かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

心にあった仕事の大きさ

見渡す限り何もなく、だだっ広くなってしまった土地を見て、東京から来たその人は嬉しそうに言った。
「これは沢山建てられそうだなー!」

隣には自治体の担当者、つまりは被災した人がいるというのに、そんなことを言うのか。
それにこのだだっ広い土地は広すぎて私を不安にさせる。

しかし、広い土地を見てたくさん建てられる!と興奮できるような人でないと、この仕事は向いてないのかもしれない、とも思う。
被災地以外でも荒れ放題になった広い土地に出くわすと、何か神聖なものを傷つけてしまうんじゃないか、というような不安やおそれが襲ってきた。

自分達が建てるものが素晴らしいと思えていないわけではなく、ただ単純に、怖い。
でっかい仕事するぞ!地図に残る仕事するぞ!ということに燃えられず、むしろ地図に残ってしまうような大それたことをするのが怖かった。

人にはそれぞれに合った仕事の大きさというのがあるのかもしれない。
それとも。私のような弱気な心を持った者がいることで、何らかの暴走を止めるストッパーの役割を果たすことができるだろうか。

結局、その大きな建築計画は時が経つにつれ流れてしまったようだった。
それを聞いて少しほっとしている自分がいる。