かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

料理をこじらせて

とんかつを作った。

日本にいた時はとんかつ屋で食べるか、揚げ物屋で買ってくればよかったが、海外暮らしだとそうもいかない。

実家も揚げ物はしないで買ってくる主義だったので、生まれてはじめてのとんかつ作り。

だと思っていた。


長女と一緒にとんかつを作りはじめる。
そのとたん、ぶわっと記憶がよみがえる。

重い肉叩きで豚肉をバンバン叩いてた祖母。
卵と小麦粉とパン粉をつけるのは私の仕事。
揚げ物の油を吸収するのに使っていたのは、祖母の習字教室に通う生徒さんの書き損じの半紙。

あ、私、とんかつ作ったことあるじゃん。
民宿を営む祖父母の家で何人分ものとんかつを作った。

すっかりそんなこと忘れていたのに、手を動かしたらみるみるうちに思い出してきた。

できあがったとんかつはお店のとんかつのように柔らかくなくて、固めの肉の懐かしい味だった。

とんかつを揚げおわった後の部屋は、祖父母の家のにおいがした。
あのにおいって揚げ物のにおいだったのかー、と笑ってしまう。


なんで私は料理嫌い、揚げ物嫌い、って思い込んでたんだろう。
小学生の頃から色んな料理を作るの手伝ってたのに。

「女は男の胃袋をつかむのが大事」と親戚に言われて、反発したのがいきすぎて、「私は料理なんかしない、嫌い」と自分に思いこませてしまった。
「料理なんかできなくても仕事ができればいい、男になんか頼らず一人で生きてく」と思ってた。
でも本当は料理って女らしさやいいお嫁さん候補をアピールする手段ではなく、生きていくために仕事と同じくらい大事なことだった。
私は幼かった。

料理嫌いのまま結婚して、女らしさやいいお嫁さん候補をアピールする必要がなくなったから、私は料理をするようになった。
こんなのこじれてる。こじらせまくってる。
それでもやっと肩の力を抜いて料理できるようになって、祖母と料理したことを素直に思い出せるようになってよかった。

私がしていたパン粉つけは今は長女の仕事。
祖母がしていた揚げ物は今は私の仕事。

祖母は長女が生まれるよりずっと前に亡くなった。
それでも、お母さんのおばあちゃんとこうやって一緒に料理したんだよ、と話すことで、祖母は長女の中で生き続ける。


そして私がハンバーグ作りが異常に下手なのは、何でも手作りする祖母がなぜかハンバーグだけは業務用冷凍ハンバーグを愛用していたことと大いに関係ある気がする。

ハンバーグ作りが得意な義母に教えを請うべきか。
そういういいお嫁さんアピールみたいなの、したくないんだけどな…。