かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

アメリカ3年目の英語力〜英語はお勉強じゃない、道具なんだ〜

カリフォルニアにいた時、チューターの先生に2年間英語を習っていました。
マンツーマンで週一回2年間。
どれだけ英語力がついたかとお思いでしょう。

私の今の英語力は、学校からのお知らせを辞書を見ながら解読したり、メールを書くこと、スーパーで買い物はできるが、近所の人と気軽にお喋りするのはかなり抵抗がある。できれば話しかけないで欲しい。
何か言われたら何度か聞き返し、つっかえつっかえシンプルな表現で話すことができる。程度です。
はっきり言って英語圏にホームステイする中3よりひどいと思います。

最後のレッスンで先生に言われたのは、「あなたはたくさん勉強したから、もう勉強はしなくていい。これからは喋る機会を作ること。マサチューセッツはここより日本人がいないだろうから英語で話さなくてはいけない機会が増えるでしょう。」でした。

そして、子どもと同じクラスに日本人がたくさんいたカリフォルニアから、クラスに日本人は1人だけのマサチューセッツに引っ越して、それは現実になりました。
保護者会の内容や担任の先生の言っていることが分からなければ誰か日本人かチューターに聞けばよい、という考えは通用しなくなりました。
移民が少ないのか英語を話せる人が多いのか、ナチュラルスピードで容赦なく話しかけてくる人達を前に、勉強だけしてても英語が喋れたり聞き取れるようにはならない、ということを思い知りました。

しかし、その荒波にもまれていれば自然と喋れて聞き取れるようになるわけではないのも現実。

お母さんにどうぞ、と学校でわたされたESL Conversation class のチラシ。
それを見ても、英語の喋れない人達で会話をしても、英語の勉強にならないのでは、と私は頑なに思っていました。まだ、英語はネイティブの人から習うお勉強だ、という固定観念が強かったのです。
もっときちんとしたESLクラスを探さなければ、と思っていました。
それでも引っ越し先で知り合った人がこのconversation classに去年行きましたよ、おすすめですよ、私も初日は一緒に行きますよ、と言ってくれたおかげで、じゃあまずは行ってみよう、と重い腰を上げて参加することにしました。

そこでの結果は、私が一番聞き取れないし話せない。
皆ネイティブではないのに、自分のことを話し、笑いあっている。
これはかなりショックでした。
このままじゃやばい…、そしてネイティブじゃなくても英語という共通語を使うことで会話が可能になるんだ、と初めて実感しました。
クラスがある朝は起きた時から憂鬱で、とてもプレッシャーを感じ、何か行かないですむ言い訳はないかな、とグズグズ思うのですが、回を重ねるにつれて、英語を話さなければ絶対に知ることがなかった他の国の人の普通の暮らしや考えを知ることができる、近所の情報交換ができる、そして他愛のないことでも喋るだけで心が軽くなることなどを発見しました。
私は日本でも必要最低限の話さえすれば事足りる、特に親しい人でもない限り社交やお喋りは時間の無駄、そして複数人でのお喋りはとても苦手、という人でした。
ワーキングマザーだった頃は時間がないし、それでよかったけれど、海外で外国人という弱者になった今、一見無駄なお喋りをすることで、支え合える仲間ができること、心の内を吐き出すこと、情報交換することがとても大事なのだと気づき始めました。

これからは、お勉強としての英語だけではなく、実際に役立つ力として英語を使ってみよう、もっと気軽にお喋りしてみよう、と思っています。
これは大したことじゃないように見えて、今までの私の超不得意分野にチャレンジしてみる、ということです。
まずは子どものスクールバスを待つ間に、一緒に待っているお母さんとお喋りすることにしました。
自分のことじゃなくて、子どものことを喋るなんてなんだか格好悪い、という私の謎の心の壁を、まずは共通点は子どものことしかないんだから、そこから喋ればいいじゃん、と壊して気軽にお喋りすることにします。