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かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

勇気と優しさ

考えたこと 映画
映画 実写版「シンデレラ」がディズニーらしい夢の世界で、とても素晴らしかった。
この映画のテーマが「勇気と優しさ」なのだが、勇気と優しさを兼ね備えるってなかなか難しい、とも思った。
 
例えば、シンデレラはその優しさにつけこまれて、継母に屋根裏部屋へ追い出されてしまい、召使いのように扱われるようになっていく。
 
ここから、舞踏会へ行こうと準備をし、お城の大階段を堂々と優雅に降りていき、王子と胸を張ってダンスを踊る、という見せ場の「勇気」を出したシンデレラは、まるで別人のようである。
 
家であんな扱われ方をしていたら、お城であんな堂々とした振る舞いはなかなかできない、と思う。
どうしてもびくびくおどおどした態度を取ってしまい、あんなに王子や周りの人達を魅了するオーラを出すことは難しいのでは、と思うのだ。
 
 
例えば、アニメ「マイリトルポニー」のフラッターシャイは優しく動物のお世話が大好きだけど、勇気がなくいつもおどおどびくびくしている。
反対に勇気があるレインボーダッシュは、勇気や身体能力はあるけれど、それゆえ他の人に厳しくあたってしまう一面がある。
 
我が家の長女は、フラッターシャイが大好きで、性格もフラッターシャイそのもの、という子だけれど、彼女に勇気を持て、と求めるのは大変難しい。
優しさを持つゆえに、あれもこれも考えてしまって、最初の一歩を踏み出すことにとてもパワーが必要なようなのだ。
お城に行きたい、と思っても怖い継母に否定されたら泣き寝入り、お城に着いても中に入る勇気が出ない、そういう人だ。
(私だってあんな立派なお城に行ったら怖くなって階段にけつまずいたり、壁と一体化して王子になんて近づけない自信がある。)
 
ある意味、「優しさ」と「勇気」は反対のベクトルで、どちらも強く求められるものだけれど、どちらも得ることはなかなか困難だ。
 
 
しかし思い返してみれば、昔のディズニープリンセス、特にシンデレラは「優しさ」があれば王子に選ばれる、という話だったように思う。
 
それが現在、「勇気」という面が強く打ち出されてきたのは、女性の強さ、自立、というのが強く求められてきている時代ならではだろうなぁ、と思う。
 
今のディズニープリンセスと言えば、「ちいさなプリンセス ソフィア」だ。
ソフィアは長女も大好きで毎日見ているけれど、彼女は今の親達が理想とする女の子そのもの、そして子ども達も大好き!なプリンセスだ。
 
優しいのはもちろん、勇気があって、今まで男の子のものとされてきた乗馬にも果敢に挑戦する。
生まれながらのプリンセスではなく、普通の女の子として生まれ、母親が再婚したことからプリンセスになる。
それゆえお高くとまらず、子ども時代の友達とも、今のステップファミリーとも仲良くやっていく。
これぞまさに現代の理想のプリンセス!
 
こういう子どもに育ってくれたら最高だなぁ、という大人の気持ちはよく分かる。優しくて、しなやかで、勇気があって。
 
理想のプリンセス達を横目に見つつ、フラッターシャイのような女の子を、彼女の精一杯の勇気をどうやって壊さずに自信に繋げて育てていけるか、試行錯誤中の母親なのである。