かぐや姫と駐妻
「かぐや姫の物語」をようやく見た。
テレビ放映の際、TwitterのTLが賑やかだったから、そんな感じで感想でもつぶやきながら見ようと思ったのに、全くそんなことできなかった。
見終わってからも涙をふきながらしばらくぼーっとして、言葉が出てこなかった。
かぐや姫の状況と、今の自分の状況が似ているような気がしてきたのは、しばらくぼーっとしてからのことだった。
何不自由ない生活をしながらも、位の高い人のところに嫁に行くことが幸せと父親に強要され、自由を奪われ、自分は生きていないと感じるかぐや姫。
何不自由ない生活をしながらも、息をするようにしてきた仕事を事実上禁じられ、ぼんやり生きている自分。
しかし自分がかぐや姫と違うのは、お花見をしてはしゃいで誰かとぶつかっても怯えられることはないし、どこへ行っては行けない、これをしてはいけない、と禁止されているわけではない、ということ。仕事以外は。
姫という立場の人がそんなことをしてはいけません、女の人は結婚こそが幸せなのです、と価値観を押し付けられることもなく、押し付けられたとしてもそれを気にしないこともできるということ。
駐妻は飲み会をしない、土日夫に子どもを預けて遊ぶこともしない、日本にいる気のおけない友達や同僚にふらっと会いに行けない、そういう明文化されてない抑圧はたくさんあるわけだが、それを気にしないで行動するという自由もまた私の手中にあるということ。
その自由を自分のものにして、自分が生きてることを実感して、自分を喜ばせる。
これが今年の私の目標。