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かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

マミートラック脱出後の話

考えたこと ワーク×ライフ
前回は育休後のマミートラック時代の話でした。

 

satsukinmnl.hatenadiary.jp

 

 
今回はマミートラックを脱出した後のお話。
 
復職して短時間勤務3年目になる頃、上司に呼ばれて、「新規事業を考えるように上から言われたから、自由にアイデア出してみて。」と言われました。
その頃は暇で情報収集はたくさんしていたので、アイデアを3個程出しました。
その内の一つについて具体的に動いてみて、と言われたので、一度お会いしたことのある方にメールで連絡をとってみました。
すると、ちょうど今いい仕事があります、とものすごく大きい仕事を持ってきて下さったのです。
それは私が考えていたような新規事業ではないものの、私達が今まで手がけたことのある事業の10倍程の規模のお仕事でした。
 
そこからあっという間に忙しい日々に戻りました。
その仕事は育休前と同じ業務だったため、私は研究チームを離れ、その仕事を持ったまま元いたチームへ異動。
とても短時間勤務では務まる仕事ではなくなったので通常勤務に戻し、〆切間近は土日出勤もする日々に逆戻り。
 
結局、その仕事は取れなかったものの、大きいプロジェクトを提案した経験がある人ということで、大きな仕事に声をかけてもらうことが多くなりました。
私は各技術担当に技術的資料の作成をお願いし、まとめ上げてお客様に提案したり社内説明をする、という立場で、提案や役員会議前日ともなると各担当の資料をギリギリまで待ち、直し、まとめて提案資料にしていくという作業が必要な為、夜遅くなることもしばしばでした。
 
また、お客様先への出張も多くなりましたが、お母さんと一緒に寝たいという長女の強い希望により、どこへ行くにも日帰りにしていました。
始発新幹線で長野へ行ったり、最終便飛行機で九州から帰ってきたり。
保育園の先生や同級生のお母さんに説明すると、大変ね〜、と言われていましたが、会社の別部署で活躍している先輩ワーキングマザーもやっていることだったので、自分が特別大変なんだとは思っていませんでした。
出張自体は好きでしたし、東京駅の地下で選んで新幹線の中で食べる駅弁は幸せな味がしました。
 
保育園の延長保育、実母、夫、私でなんとかぎりぎり仕事と育児の両立をまわしていました。
夫は忙しい立場でしたが、土曜日は私が出勤、日曜日は夫が出勤したり、私が残業時には保育園へ時々お迎えに行ったりしていました。
「夫さん、あんなに忙しいのにお迎え行かせてるの?」と社内で言われたこともあり、じゃあ私がずっと本気出さないで定時帰宅して保育園お迎えしなきゃいけないんですかね〜、とモヤモヤしたこともありました。
実母には「2人の子どもなのに夫さんは実母に甘え過ぎてるんじゃないか」と言われることもあり、その頃はみんな疲れきっていたなぁと思います。
 
ボディーブローのように効いてくる長距離移動と残業土日出勤の疲れ。
家の中ではぐったり、イライラして心の余裕はありませんでした。
床に物が散らかっているためルンバを買うこともできず、
皿洗いは俺がするからという夫の言葉を信じて食洗機は購入せず、
洗濯乾燥機を投入したものの生乾きにしかならず二度手間で、
デパ地下やお惣菜屋さん、商店街のお肉屋さんのコロッケが私の味方でした。
 
そんな日々の中、第二子を妊娠。
飛行機移動の必要な仕事からは外してもらいましたが、新幹線や特急電車を使って関東甲信越の出張には行っていました。
産休前の最後の仕事が個人的に思い入れの深い仕事だったこともあり、妊娠8ヶ月の体で夜遅くまで残業し、混み合っている終電には乗る力が残っていないため、自腹でタクシーで帰っていました。
職場では「今度は夫さんに育休とってもらいなよ!」とか言われつつ、心の中では「もう絶対にこんな働き方しないです、これが最後のご奉公です…。」と思っていました。
 
第二子を産んだら、今度こそ時短だけどマミートラックではない働き方、自分に合った働き方をするんだー!と固く決意してたその頃。
時短のマミートラック時代も、通常勤務のバリバリ時代も、どちらも楽しみはあったけれど、私にはきつかった。
私なりのワークライフバランスはあるはず、それを見つける、と思っていましたが、第二子の育休中の夫の海外赴任により、そのチャンスは失われました。
いつか見つけられる時が来るのか、そんなものが実在するのかどうかすら分かりませんが、いつか見つけてみたい、と今も思っています。