かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

私がマミートラックにいた時の話

中野円佳さんの連載記事
私がマミートラックにいた時の話です。
 
見事に「本人の希望どおり」「自分で選択したこと」によるマミートラックに塩漬けの出来上がりです
 
この文章は私の中の記憶を呼び起こしました。
 
育休後の配属先は、育休前と同じ部署ではあるものの、研究中心のチームに配属されました。
私の仕事は研究内容をまとめて執筆すること。
お客様の都合やプロジェクトの〆切等に左右されやすく、仕事量や仕事時間の負担が大きくて泊まり出張もある育休前の仕事を以前と同じようにはできないという私と職場の相談の結果でした。
育休後の仕事内容は社内や在宅ででき厳しい〆切もなく、子どもが熱を出してもすぐにお迎えに行けて他の人にも迷惑がかからない仕事。
さらに文章を書くことや研究をしてみたかった私には願ったり叶ったりの仕事内容だと思っていました。
まさに「本人の希望どおり」「自分で選択した」仕事でした。
 
 
が、すぐに仕事が自分に向いていないことに気がつきました。
そういえば大学の研究室に入った時も研究向いていないと気づいて、研究室に残らずに就職しないと無理だ!って思ったんだっけ。
仕事に必要な調べ物ばかりして自分の言葉で一行も書けない時もある。
参考資料を全部コピペしたくなる時もある。
私、研究も文章書くの全然得意でも好きでもなかったんだ…と思いました。
 
そしてチームの中の誰も私の仕事内容やスケジュールに関心を持っていない。
会社に私がいなくても誰の仕事にも支障がない。
育休前は会社に迷惑をかけて申し訳ない!と思ったりしていましたが、会社に戻ってきたら別にいなくて大丈夫。
育休中の後任の人が私の100倍位の優秀さでいなくてはならない存在になっている。
そこで、あー私いてもいなくてもいいんだ、だったら私の「趣味」として働こう、と思いました。
 
暇なので部長の講演資料を作ったり、他部署の他社見学会に参加してレポート書いたり、先輩ワーキングマザーが運営する社内SNSや組合の女性勉強会のスタッフをやったり、隣のチームと小学生向け教材を一緒に作ったり。
時間がある分自分の好きなことをしようと思って自由な時間を楽しんでいました。
 
上司からは「短時間勤務とは言え、⚪︎⚪︎君は同じ仕事やりながら他に何件もプロジェクトができてるよ。」
とか、「評価をする部長に仕事内容のアピールができてないから、他の部長の資料作成をしてることとかもっとアピールして伝えて。」とか言われていました。
初の育休復帰の短時間勤務の人に対して、上司もどうやってやる気を出させればいいのか分からないし負担を増やしていいのかも分からない、本人に聞いても分からない、そんなかなりお荷物感満載の時期でした。
 
私は夜泣きからイヤイヤ期という子育ての一番ハードな時期だったのもあって、仕事をこれ以上増やしたいとも思わず、研究や技術向上に興味を持てない自分にも嫌気がさし、このままいったらお荷物のままずっといくのかー、辞めた方がいいのかな?とかぼんやり考えていました。
 
育休後の3年間、こんな感じで短時間勤務を続け、マミートラック時代を過ごしました。
しかし実際は、この期間の忙しい時にはできなかった経験や情報収集、出会った人達が後から活きてきました。
なので、今思い返すとあの3年間は自由に自分の興味のあることをインプットできた貴重な時間だったのだなと思います。
チームに全く貢献できていなかったので、それは本当に申し訳なかったのですが。
 
短時間勤務3年目になる頃、さすがに上司に呼ばれて、「新規事業を考えるように上から言われたから、自由にアイデア出してみて。」と言われました。
これが実はマミートラックから抜け出すきっかけとなったのです。
が、この続きはまた次回…。↓
 

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