かぼちゃねこ日記

アメリカから見えるもの。考えたこと。

スクールバス怖い

運転中、会うと緊張する車。
例えばベンツのような高級車、
黒塗りのスモークがはってある車、
パトカー、、、
色々あるが、今、私が一番緊張する車は、スクールバスだ。

アメリカではスクールバスが止まってバスの上の赤いランプが点滅している時は、子どもたちが乗り降りしているため後続車のみならず、対向車も止まらなければならない。
これは免許の筆記試験にも出る事柄だ。

免許を取って数年経ったある日のこと。
私が運転する対向車線にスクールバスが赤いランプを点滅させて止まっていた。
スクールバス=止まる、は頭の中にインプットされていた。
が、後続車は止まるけど、対向車は一旦停止して安全を確認したら動いていいんだっけ…?と頭の中が混乱。
バックミラーを見ると後ろに車がずらーっ。
後ろにどんどん車が増えていく緊張に耐えられず、ゆっくり車を動かし始めたとたん、
ブオオオオーーーーッッッ!!!
とすごい勢いでクラクションを鳴らされた。
心臓が縮こまった。

それ以来、私の中で道で会うと緊張する車ナンバーワンはスクールバスになっている。
後ろについてしまった時もドキドキするが、普通に道を走っていても対向車線にスクールバスがいないかどうか気になって仕方がない。
黄色いあいつも気になるが、時々普通の銀色のバンなのにスクールバスになってるやつもいて気が抜けない。

 

アメリカンネーム

同じチューターに英語を指導してもらうことになった私とJさんのアジア人2人。
Jさんは「こんにちはJです。」と言った。
しかし、その後詳しく自己紹介しあうと、「名前は〇〇 〇〇です。」といかにも中国らしい、発音の難しそうな名前を名乗った。
「あれ、Jって名乗っていなかったっけ??」と思ったら、
「そして私のアメリカンネームはJです。」と続けて言った。

 

アメリカンネーム??
初めてその言葉を聞いた私は、頭の周りが疑問符だらけになった。

 

後で調べたら、アメリカンネームとはアメリカで呼ばれるための名前のことで、自分で勝手につけていいらしい…!

 

私の名前も何回も聞き返されるし、正確に呼んでもらえることが少ない。
特にスタバなんかで名前を聞かれた時は、だいたい微妙に間違った名前をコップに書かれている。

 

いつも正確に名前を覚えてもらえない、呼んでもらえない、と悩んでないで、さっさと「私はSofiaです。」とか堂々と名乗っちゃえばいいんだ。

 

名前を自分でつけていいなんて新鮮で、「名前は親からもらったもの、一生変えられないもの」という固定概念をぶっ飛ばされた。

英語を習って20年、初めて指摘されたこと

今日はenglishとtheの発音が違うと指摘された。
英語を習って20年以上、今まで誰もそんなこと指摘してくれなかった。
結構ショック。

英語が聞き取れないことはあっても、こちらが話した英語が全然通じないということはなかったので、そこそこ発音はできてるのだと思っていた。
でも、それはもう大人だし、アジア人だし、発音を指摘しなくてもまぁ意味はある程度取れるからいいか、と思われてただけなのね。

lとthの発音がこれほど難しいとは。
theは私の言い方だとdaに聞こえるとのことだった。
thもlも舌と歯の位置が重要で、意識しないとできない。

新しいチューターはネイティヴスピーカーで、私とJさんというアジア人2人に対して教えてくれることになった。
Jさんは「発音を厳しくチェックしてほしい」という希望で、それで初めてビシビシ指導してもらえた。
Jさんが一緒じゃなかったら、私の発音はずっとスルーされていただろうから、助かった。
これから1年、厳しく発音をチェックしてもらおうと思う。

カルパッチョ作って帰りを待ってくれてる人

今年の夏、日本でよく見たのは、パナソニックの冷蔵庫のCMだった。


ふだんプレミアム冷蔵庫(TVCM30秒):#081毎日の鮮度を楽しもう。【パナソニック公式】


繰り返し東横線の車内で流れていて、見るたびに
「こんな夫欲しい…!」
「時代はここまで来たか…!」
「というかCMがようやく私たちに追いついた…!」
と思った。

鯛を買ってきて冷蔵庫に入れる夫。
1日目、刺身を作る夫。
2日目、鯛茶漬けにして食べる夫。
そして3日目、妻が外から帰ってくると、「おかえりなさいませ」と出迎え、ろうそくの灯った食卓でカルパッチョを作って待ってる夫…!!

外から帰ってきて、「子供たち見ててくれてありがとー!今からごはん作るね。(めっちゃ疲れてるんですけど)」と言わなくていい家庭が欲しいです!
カルパッチョ作ってほしいです!
そんな女子力高くてかっこいい夫が欲しいです!

という女子の欲望をよくぞくみ取ってくれました…!!

そしてこの構図って、少し前の(いや今もかもしれないけど)男子の欲望とほとんど同じだ…ってことに気づいた。
「仕事で疲れて帰ってきたら、かわいい妻が自分のためにご飯作って待ってくれてる。あ〜、癒される…。」
「家に帰ってきたら、かっこいい夫が自分のためにご飯作って待ってくれてる。あ〜、癒される…。」

みんな疲れて帰ってきたら、誰かにご飯作って待っててもらいたいんだなー。
でもそんな欲望、女子というだけで表に出しちゃいけないと思ってた。
ご飯作って待ってるのが私の幸せなのよ、みたいな顔しなきゃいけないんだと思いこんでた。
……んなわけ、あるかー!
女だって人間だもの。

 

airbnbで日本を過ごす

日本に一時帰国した。

小3長女が日本でしたいことは、
1.テレビのデータ放送に赤青黄緑ボタンで参加する
2.コンビニにおつかいに行く
3.セミを見る

私がしたいことは
1.日本のたきたてご飯に生卵をかけて食べる

3歳次女は
1.アンパンマンミュージアムに行く

上記のことをかなえるために、今回はairbnbを利用した。

条件としては、
1.アンパンマンミュージアムに行きやすい
2.コンビニが近い
3.炊飯器がある
4.テレビがある
に加え、
5.元々住んでいたエリアに近い(歯医者や美容院、レストラン等に行くため)
6.使いやすいキッチンがある
7.洗濯機がある
8.子供連れOK
9.バス・トイレ別で日本式の深いバスタブ
等であり、意外と探すのに手こずった。

特に4.テレビがある の条件を満たすところが少なく、「テレビなしでもいいよね?」と長女に聞いたが、「絶対テレビがなきゃ嫌。」と言われた。
結果的には私も久しぶりに日本の歌番組を見られたため、テレビありの条件をあきらめずによかった。

長女がコンビニにおつかいに行くときは、私の携帯電話を持たせ、迷子になったり困ったりしたらすぐに夫の携帯に電話するように言い聞かせ、夫がコンビニに入るまでこっそり後をつけていくという過保護ぶりだったが、長女は誇らしげにヨーグルトとゼリーを買って帰ってきた。
アメリカでは子どもを一人で歩かせることは禁止なので、小3にしてようやく、初めてのおつかい成功!であった。

airbnbでの生活は快適で、好きな時に好きなだけ洗濯できるのがどれだけストレスフリーであるか実感した。
たきたてご飯の生卵ご飯も最高であった。

今まではホテルを3~4泊ずつ転々とすることが多かったが、これからはairbnbで長期滞在にしようと思った。
荷物を数日おきにまとめなくていい、着終わった洋服を持ち歩かなくていい、そして安い!

家から空港への往復はUberで、宿泊はairbnb、というネットサービスを駆使した一時帰国だったが、地元感、自宅感あふれる滞在となった。
落ち着くわー、、というのが今の時代に求められているものなのかもしれない。

「諦める力」為末大 著 を読んで

「諦める力」為末大 著 を読んだメモ。

意外にも自分の今までの人生を振り返り、これからを考える内容になった。

今、読めてよかったと思う。

 

「諦めた道」→定年まで会社員として東京で働き続けること
「別の道」→海外で主婦しつつ在宅仕事

 

当初、その道(諦めた道)を選んだ目的は、会社員として出世することではなかったはず。

仕事を通して世界を良くする、新しい世界・環境汚染の少ない世界を目指すこと。

そこは今も昔もブレてないことに気づいた。


経済学では 、今後の投資を決定するときに 、絶対に返ってこないサンクコストを考慮しない

→今までサンクコストを気にしすぎてたのでは?

親に大学院まで出してもらって会社辞めて主婦はありえない、会社員として頑張らないといけない、という考えにがんじからめにされていた。

 

別の環境を求めて移動し 、新しい関係性のなかに身を置いてみると考えが変わるかもしれない 。住む場所を変えたり 、人間関係を変えたり 、行動パタ ーンや習慣を変えてみるのもいいかもしれない 。

 

→思いきり違う環境に移ってきてしまった。その結果、未練がなくなる、こり固まっていた自分の考え方に気づく、この会社で働き続けなければいけないということはない、ということが分かった。

 

 

何を普通としている集団に属しているかで変わってくる。

人はすごいことをやって引き上げられるというより 、 「こんなの普通でしょ 」と思うレベルの底上げによって引き上げられると思う 。

 

→学校選びや職場選びにも通じる考え方。

例えば高校だったら、
海外校に進学するのが普通か、日本の大学に行くのが普通か、系列校に進学するのが普通か、大学進学しないで就職するのが普通か

日本語で会話・学習するのが普通か、英語で会話・学習するのが普通か

女子は文系に行くのが普通か、女子でも理系に行くのが普通か等。

 

例えば職場だったら、

専業主婦家庭が普通か、共働きが普通か

残業や土日出勤が普通か、定時帰りが普通か

男性だけの職場が普通か、女性もいるのが普通か

有休や産休を取るのが普通か、取るくらいなら辞めるのが普通か等。

 

結構その場の「普通」、校風や社風は効いてくる。というのが実感。

 

 

長期的には 「あまりがんばらなくてもなんとなくできてしまう 」ことのほうに努力を振り向けたほうが成長できる

 

「何をがんばるか 」という選ぶ努力には 、冷静に自分を見てだめなものはだめと切り捨てる作業がいる


→例えば受験科目。

私は特に暗記科目が駄目で、考えれば解ける理系科目が得意だったので、理系へ。

 

今は何が「あまりがんばらなくてもなんとなくできてしまう」ことなのかよく分からない…。

人の顔と名前を覚えることは苦手なのでそういう仕事は全力で避けるべし。

 

がんばったという満足感と成果とは別物だ 。

さほどがんばらなくてもできてしまうことは何か 。

 

→がんばったことのほうが印象に残りやすいから、ついそちらをアピールしがち、がんばりがち、だけど「がんばらなくてもできてしまう」ことが大事、なんだよなぁ。

私にとってそれってなんだっけ…?

今は「がんばって」しまってるかも。

 

今まで以上にがんばっているのにできなくなったのはなぜか 。そういうことを折に触れて自分に問うことで 、何かをやめたり 、変えたりするタイミングというのはおのずとわかってくるものだと思う 。

本当のところを言えば 、終わり際については誰もがそれなりに察していると思う 。


→仕事を辞める第二子産休前、このまま仕事を続けたら、自分の体も家庭も壊れる、という予感がした。ギリギリだった。

 

というわけでこれから「自分ががんばらなくてもなんとなくできてしまうこと」は何か、気をつけてチェックしてみようと思う。

意外なものが見つかるかも…?

 

 

諦める力?勝てないのは努力が足りないからじゃない

諦める力?勝てないのは努力が足りないからじゃない

 

 

 

アメリカ3年目の3歳児の様子

前回は長女のことを書いたので、今回は3歳の次女のことを書いてみようと思う。

 

0歳8ヶ月で渡米した次女は、今では日本に暮らしていたよりもアメリカで暮らした期間のほうが長くなった。

しかし、彼女は日本語しか話せない。

 

アメリカのプリスクールは2歳9ヶ月から受け入れる所が多く、それまでは私とべったり一緒にいた。

テレビジャパン(アメリカのNHKを中心とした日本語放送)で「いないいないばぁ」や「おかあさんといっしょ」を見て、私と公園で遊ぶという日々を過ごしていた。

 

2歳9ヶ月になった時、日系のプリスクールに通うか、現地のプリスクールに通うか、両方通うかの選択肢があった。

しかし、日系のプリスクールが遠いこと、日系に初めに入れてしまうと現地のプリスクールを嫌がることが多いと聞いていたこと、次女の何事にも動じない性格から、現地のプリスクールに週3日通わせることにした。

しかし、これが失敗した。

私と離れる時に泣くことは想定していたが、「泣き止まない」「昼寝をしない」としょっちゅう呼び出される。

日本語が分かる人が1人もいない環境で、ようやく日本語でおしゃべりすることが楽しくなってきた次女は、意思疎通できないことがかなり苦痛だったようだ。

それでもよくあること、と3ヶ月程通わせていたが、とうとうある日大泣きして車から降りようとせず、車から引きずり降ろして泣きわめいて逃げようとする次女をなんとか引きずって登園させた1時間後に、「疲れたのか眠ってしまったためお迎えにきてくれ」との連絡。

あの苦労はなんだったのか…とぐったりした気持ちで迎えに行き、結局その日以来、登園しなくなってしまった。

「幼稚園行こうか?」と言うだけで泣き出し、無表情になってうつろな目をするようになってしまった次女を見て、これはやばい、と思った。

いつも表情豊かでニコニコしている次女がこんな顔をするのは見ていられない、と思った。

その後先生との面談の機会があったが、「英語を話そうとしないので困る、意思疎通ができない。」と言われ、どうしたらいいと思うか?と聞いても「分からない」と肩をすくめられた。

「英語が話せない子も何人も受け入れている、すぐにみんな英語を話すようになる。」と入園前に責任者は自信ありげに話していたが、現地の小学校や中学校とは違い、プリスクールではESLの先生はおらず、小さいからすぐに慣れる、という経験則で話をしていたようだった。

「他の子は両親が英語を話せる人だったし」と言われ、私が英語が話せないことが原因なわけ?と思ったり、先生との信頼関係も失われ、具体的な解決策も出てこなかったため、退園した。

 

次のプリスクールに入るまで、次女と一緒に図書館で行われるstory timeやダンス教室に通った。

それでも英語の絵本の読み聞かせや手遊び歌はあまり興味を示さなかった。

行くとスタンプを押してもらえることや、歌に合わせて鈴を鳴らしたりするのが楽しみで「またいこうね!」と言うのだが、英語は彼女の中に浸透していく様子がなかった。

長女が英語のテレビを見ていても、「これは長女の。」と言って一緒に見ようとはせず、アンパンマンを熱心に見ていた。

 

在米の日本人の方々にも相談し、これは日本語のプリスクールのほうがいいな、と判断、日系のプリスクールを見学し、入園した。

最初のプリスクールの反省から、週3日だと通うリズム、習慣が身につきにくく嫌になりやすいと思ったので、週5日。ただし昼寝がネックだったので慣れるまでは午前中だけの登園とした。

最初はやはり泣いた。

車から降りたがらず引きずり降ろすこともあった。

しかし、日本語が通じること、アンパンマンのおもちゃがふんだんにあること、先生が粘り強く対応してくれることから、毎日ニコニコしながら登園できるようになった。

「ようちえんまたいこうね!」と言う次女を見て、これでよかったんだ、と思う。

 

アメリカにいながら日系プリスクールに通うのは不自然なのではないか、現地校で頑張っている長女に不公平感が出るのではないか、と思った時もあった。

しかし、まずは次女が親と離れて楽しそうに登園できることが最優先だな、と思う。

今では英語のミッキーマウスクラブハウスを見たり、週に何回かある英語の先生のレッスンを楽しんでいたりするので、自然と時が来れば英語も楽しくなってくるだろう、と思っている。

そして、日本語でのおしゃべりがどんどん 上手になっていく3歳児を見るのは本当に楽しい。

親のエゴかもしれないが、母語で家族と意思疎通できるのはたまらなく幸せなことだなぁ、と感じる今日この頃である。